What Damned Minutes tells he o'er...



「恣意か作為か寓意か。それとも悪意か。悪意だなこれは。」

朝まだき とある中華飯店の厨房で
仕込みの手は止めないまま 悲劇に興ずる英国人。名をグレート・ブリテンという。
時に囁くように 時に謡うように 訥々と 朗々と
天の与えたもうた良く通る声をフル活用しながらブツブツグチグチ。

なんでも朝起きたら 本来右手である部分が左足だったらしい。

「すごいよ張(チャン)さん、グレゴール・ザムザ君の気持ちが本当の意味でわかる唯一の男だよ俺。 それにしても節操なさすぎやしませんかね俺の右手。仮にでも”右手”と定まったんだから大人しく右手やってなさいよ俺の右手。言うだけ無駄ですかこの能力。あー、”何と呪われた刻一刻を数えなくてはならぬのか ”・・・やめた、縁起でもねえやな。
ところで、例えば今、この手先だけ蛙かなにかに変化させて、そんでもってこの包丁でそれを切り落としたりしたら、 そこにあるのは蛙か手首かどっちだろうねえ?」

本気で知りたいと思っているならギルモア博士にでも聞いてみるといい。ただし本気でないならやめて欲しい。 疑問が解決する前に泣いて謝られることは想像に難くなく、これは堪らない。
自分は他の何人かとは違い博士に対して含むところはないが、食卓が湿っぽくなるのは勘弁願いたい。
というか、人の大事な商売道具でそんなことをやってくれるな。
実行されたら結果を見極める前にこの男をミディアムレアに焼いてしまう自信がある。

「ついでに落とした手はもう一度取り込めるのかな、それとも新しいのが生えると思う?
さっきまで自分の手だった蛙がぴょんぴょん跳ね出したら俺は叫ぶね、
外に出て四ツ辻に立ち大地にキスして世間の人にお辞儀をしながら
”扉よ開けヨグ=ソトホート”と叫ぶよ、ウン」

それにしても、次から次へとよく回る舌である。
考えるよりも先に言葉が口をついて出るかのような・・・あるいは予め設えられた脚本を暗唱するかのような。

朝起きて己の姿を確認したこの英国人は大層驚愕したそうだ。
悲鳴の一つも上げずに己の形態を在るべきモノに戻し、 誰にも気取らせず何も言わず何食わぬ顔で家を出て、そうして今この厨房で悲嘆に暮れている。
確かにショックを受けはしたのだろうが、取り乱すのに相手を選ぶ余地があるあたりがより一層悲劇的で、 それを他人(たとえば自分)に見透かされている時点で既に喜劇的だ。
この男は道化であり、韜晦はこの男の性分である。それは長い付き合いで承知しているが。
そろそろ沙翁の引用より先に、「沈黙は金である」という金言を頭に叩き込んでもいい頃ではないか。

つまり 不安になって 慰めてほしいならば 素直にそう言えばいいのだ。

あまり仰々しく嘆くものだから、
実はたいした事はないのかもしれないと錯覚してしまうではないか。



告げてやると かの英国人は色の薄い目を見開き、表情のない声でゆるりと呟く。
「だってねえ張さん、取り繕うことも出来ない俺なんて、いよいよ終いだろ」

そうして へらりと笑って見せた。


「これぞどん底」と言えるうちは まだどん底ではない--「リア王」。
年下の前とか自分より深刻になってしまう人の前では不安定になることすらしないのです男の子だから!
多分「目が覚めたらネコ耳が生えてました」とかだったらぐうの音も出ないと思われる。(2008/2/19)


close